怒り、恐怖、圧力では人は育たない。

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親、上司、先輩、人を育てることって大切で人生のテーマでもあると思う。

人を育てながら自分を育てること。

人を育てるって難しいなと思うことも多いのでは無いでしょうか。

でも前提として思い通りに育て上げることは出来ないと認識することも必要。

たとえこうなるべきだと言う正解があったとしても、人は千差万別。

人の数だけ個性があって適正もある。

それなのに教える側が思う正解に向けて育てあげようとだけすると、結局は怒りと言う感情が出てしまう事が増え、相手は恐怖を感じて無理矢理動かざるを得なくなる。

圧力をかけて動いたことは教わる側の大きなストレスを生み、そして教える立場になった時に知らずのうちに自分がやってしまうことになる可能性が高まってしまう気がする。

結局圧力をかけて出来る様になったことは成長とは言い切れないのでは無いだろうか。

そもそも人の数だけ個性があって、そして時間という軸があるので過去の正解は今の正解であるとは限らない。

だから恐怖を感じさせて育てることは価値が薄い、それであれば時間はかかっても個性を生かして時間はかかっても教わる側の個性を最大限に生かした、その人にとってベストな成長を促してあげるべきではなかろうか。

家庭、企業、学校、色んな組織の中で人を育てる時に教える側の自分が関わっている時間のうちに成果を出そうとばかりしていませんか?

要するに教育する事が相手のためを思って、相手の人生全体を思って行っているのでは無くて、教えている自分のエゴになっていないかをよく考えるべき。

物事の考え方、その本質を教え込んで後はそこに本人が本当に気がつくタイミングまでそっと寄り添い、チャンスを与え続ける事が必要だと思う。

そして型にはめこみ過ぎずに本人も気が付かない様な、本人の個性が最高に発揮出来るような環境を与えてみることも必要。

厳しい環境で追い込んで大成した人も居るとは思いますが、それはたまたまでは無いかと感じます。

その厳しさの裏にある大きな優しさがあって、無機質な圧力では無かったケースもあるし、圧力でダメになってしまった多くの人も居ると思います。

たまたま圧力をかけられることで大きく成長出来た人がいただけかも知れません。

何人ダメにしても良いから1人のスターを生み出そうと言う発想に近い様な気もします。

でも人の価値は皆平等なはず。

教育者としてダメな人間、良い人間と分けるべきではありません。

だから怒りを当てる必要もありませんし、恐怖を感じさせる必要もありません。

圧力だけで人を育てようとするべきでは無いのではと個人的には思います。

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