『足るを知る』身の程をわきまえて、むやみに不満を持たない。
老子のお言葉。
厳密に読み解くともっと深い意味があるとの見解もありますが、今回はそのままの意味として理解。
教育の原点として『足るを知る』ことがとても大切。
そもそもの考え方として身の程をわきまえることを忘れてしまうと、全ての教育が台無し、または無意味になってしまう可能性が高まります。
人の成長はその場、その時に実感出来ません。
あとあと振り返ったとき、自分は成長したんだと気がつく時が来るだけです。
さらに言うと日々成長している人は自分が成長していることすら振り返りません。
そんな暇なく成長しているので、結果として成長しているかどうかなんて気にする必要がないからです。
そう成長のサイクルが自然と繰り返されていくために、原点として足るを知ることをしっかりと理解することがとても大切です。
考え方、心の持ち方一つで物事の見え方が変わるから大切なのです。
20万円のお給料をもらって喜んでいた若い頃は20万円もらって満足、なのに5年、10年、20年と仕事を続けているうちにサラリーマンだと特に25万円、30万円では不平不満を言う人がたくさんいます。
その分、それだけ利益貢献しているかと言うとそうでもなかったりすることが多い。
それに世の中の社会情勢が変わっているので、一律で給料が上がることも当たり前ではありませんし、毎月給料がもらえていること自体が当たり前ではないのです。
社会情勢、経営状況に振り回されずに安定して給料がもらえていること自体がありがたいことにも関わらず、気がつけば不平不満が漏れ始めるのです。
足るを知らなくなってしまっているんです。
この状態で何か教育をしようとしても、すんなりと理解が出来ません。
そんな教育いらないから金をくれ、もっと実践的で現実的、そして即効性のある話をしてくれとなりがちです。
世の中の原理原則はあるもので、そんな近道はありません。
原理原則に沿って物事は当たり前のように成り立っているだけなのです。
それに段々と気がつかなくなってしまいます、見えなくなってしまって、表面上のことしか視界に入らない、理解出来なくなる、これがとても恐ろしい状態。
大切な子供、後輩、人を育てる上で大切なことは考え方の基本ベースとして『足るを知る』ことをどれだけ理解してもらえるかです。
ひょっとしたらここが一番難しいかも知れません。
自分は経験をしたことがありませんが、戦争でも起こってしまえばみんな急に『足るを知る』を感じ始めるでしょう。
平和である、命の危険を感じずに生きていけること自体がとてもありがたいのです。
平和で健康、それ以上の贅沢は無いんです。
平和と健康があってこそ次の贅沢なんです。
自分も常に意識しながら、他者にも伝える、『足るを知る』ことは各々が幸せになる原点の考え方です。
『足るを知る』の理解を深めてから学ぶことが大切。
トップの写真はうんち君。
健康なうんちが安心して気持ちよくスッキリ出るだけでもありがたや。